シャンパン
これほど官能的で魅力的なお酒があるでしょうか。
グラスに注がれた、琥珀色か淡い黄金色に輝くワインの中に、きらめく星のように
泡が立ち昇ります。
ワインの妖精が口付けを誘うかのように、可愛らしい声でささやき、
柔らかく甘美な芳香は、しばし時を忘れるがごとく・・・・
さて、世界中の人々をとりこにしているシャンパンですが、
僧ドン・ペリニョンによって造られたというのは俗説です。
いわゆる『発泡性シャンパン』が造られたのは英国らしいのです。
ダルタニャン物語に、シャンパーニュ地方から樽ワインが大量に英国に輸出され、
これが英国で瓶詰めされてコルク栓付きの瓶の中で発泡酒となり飲まれた記録があるのです。
年は1660年代。
ドン・ペリニョン師が初めて発泡シャンパンを造ったのが1680年ですから、20年も英国のほうが早いのです。
ちなみに当時フランスでは酒瓶製造が工業化されておらず、ほとんどが
英国からの輸入で、コルクもフランスにはまだなかったのです。
そして、もともとシャンパーニュは赤ワインの産地として有名でした。
?
何故、今のようなシャンパンを造るようになったのか。
これは女性を中心にした権力闘争の旗印とでも言えば良いでしょうか。
当時のフランス宮廷では、シャンパーニュの赤ワインとブルゴーニュの赤ワインを用いて男女共に王侯の寵愛が競いあわれていたのです。
ぶどうは同じピノ・ノワール。
気候も似ています。
このシャンパーニュの赤ワインを蹴落として、ブルゴーニュ、ことにロマネ・コンティ(当時はコンティの名はまだついていません)がスターダムにのし上がるのは、
ルイ14世の保健薬として使われたからです。
この壮挙をやってのけたのが、ブルゴーニュ出身の侍医ファゴンで、王の寵妾マントノン夫人に取り入ったといわれています。
で、女性の力で一敗地にまみれたシャンパーニュが頭をひねって生まれたのが
発泡性ワイン(ジャンピングコルク)でした。
このシャンパーニュも、前者の轍を踏まないように女性の力を頼りにします。
オルレアン公のあまたなる寵姫は、摂政をシャンパンの常用者にさせ、
公と張り合ったメーヌ公妃も争うようにシャンパンを抜きに抜いたそうです。
ルイ15世の時代になると、寵姫マダム・マイィは、王にシャンパンだけをすすめ、きわめつけは、かのポンパドゥール夫人。
彼女は、シャンパンのコマーシャルを担うかのように
「女性に飲むことができ、しかも美しさをおとろえさせないのは、シャンパンのみ」とご託宣を下しました。
かくして、シャンパンは世界中で支持、愛されるようになりました・・・
いつの時代も、女性の力は偉大です!
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