学校に限らず、社会に出ても、
生きている限り学ぶことは多々あります。
その中で、「教育」「育てる」という言葉がありますが
実際のところ、言葉の真意と実状には様々な解釈があり、
原則として、「人を教えることはできない」というのが社会における私達の経験としての解釈です。
しかし、
「ある種の気づきを与え、道を示すこと」は出来ると思うのです。
そして、そこから学ぶかどうかは本人次第であり、
出来る人は自ら進んで行っているというのが現状かと思います。
こんなことがありました。
ある小さな会社で、中々営業成績の上がらない若手を見て、
上司から「仕事の基本概念と構築の方法を教えるから、毎週1時間程度レクチャーしようか?」と本人に伝えたところ、
「はい!、やります!お願いします!」というのではじめたところ、
2か月目程度で、「アポイントが長引いて10分遅れます!」ということからはじまり、
「すみません、アポイントが長引いて1時間以上遅れます!」ということが起こりました。
当然の事ながら、上司は部下を指導するために、
分析、推測などの準備をしていたそうですが、
部下が時間を割いていることの価値とその本質を理解していない為、
これでは時間の無駄と、指導のミーティングを取りやめることにしたそうです。
その際、発した言葉が「情けは人の為ならず」というものでした。
その会社は、「サラリーマンはいらない。仕事を自ら創り上げるビジネスマンたれ!」という考えなので、
そうした対応は理解できますし、社会における実際の厳しさを考えると当然の対応かと思います。
もっとも、若手営業マン自体は、時間を精いっぱい使って、少しでも営業成績を上げたい!という想いもあったようですが
これはこれで、本質を理解していない見当違いの対応です。
物事の本質を理解しない限り、結果を出すことはどんな場合でも困難です。
さて、「情けは人の為ならず」ですが、
前述の上司の方のように、「情けをかけることは、人のためにならない」というような使い方をされている人が
圧倒的に多いのですが、実際の意味は違うのです。
実際の意味は、
「情けは人の為だけではなく、いずれ巡り巡って自分に恩恵が返ってくるのだから、誰にでも親切にせよ」という意味。
情けをかけることが良いか悪いかは別にして、
こう考えると、あまり腹も立たなくなるかもしれませんね。
そもそも冒頭で述べたように、会社や上司がすべき事は、
きっかけや道標は示し、チャンスを与えることであって、本当の意味で人を育てることはできません。
成長する人間は、ほとんどが自ら道を切り開き学んでいくのですから。
そういった意味で、部下にきっかけや道標を示してあげることが、
上司にとっての「情けは人の為ならず」 となるでしょう。
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